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2017年9月

なぜ、嫌がらせをしてしまうのか

人が嫌だと思う事を平気でやる神経がわからない。

成り行きでそうなってしまったとかなら、わかる。

でも、例えば今から頑張ってやるぞーって発言すると、必ずそれに対して嫌がらせをしてくる人がいる。

これは、なぜ?

一昨日、現状を各所で記事にしたりして書きました。今日までのところで、既に3名から明確な嫌がらせを受けています。

私には理由がわかりません。色々あるけど、負けないで頑張るよって言ってるのに、それをあざ笑うような行為を3名の方にされました。

彼らには、人の心がないんでしょうか。それとも、わざわざそういう事をして嫌な気持ちにさせることに、快感を覚えているのでしょうか。

私が大成しないのって、こういう事いちいち気にしちゃうからですよね。そんなやつらほっときゃいいってわかってるんですけど……どうしてそういう事するのかな、って思っちゃう。心が痛くなる。

心が痛いと言ってしまうから、なおさらそういう事をされるのでしょうか。

でも、こういう相手をどうこうとか考えたって不毛だしどうにもならないですよね。嫌がらせはやめてって言っても、きっともっとされるだけで意味ないし。

だから、どういう心持でいれば耐えられるのかとか、どうしたらこういうの気にならなくなるのかとか、そういう所を勉強していかなきゃいけないんだろうなと思う。だけどもうそういうのって人格形成のレベルから矯正しなきゃいけないし、かなり難しそうよね……そう思えば、嫌がらせ止めさせるのも人格形成矯正するのと同じだし、難しいのも納得する

毎日がつらい

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普段お世話になっている皆様へ

こんばんは。とてもお久しぶりです(各所では細々活動しておりますが)

突然ですが、そろそろ区切りをつける歳になってまいりました。思えば、大学を卒業してからも結構経ってしまい、気がついたら「約束の歳」がもう目前に迫っております。

私は、シナリオライターとして活動していきたいという夢を持ち、それは今でも変わりません。
ただ、歳を重ねていくにつれ、周囲が変化していくにつれ、私の夢への向き合い方も変わっていきました。というか正直、変えざるを得ませんでした。

たぶん、言う人に言わせれば、仕事とかしないで全力投球が当然、といったところでしょう。確かに、後悔まではしていませんが、もしやり直せる機会があるのだとしたら、次はそういった生き方で攻めてみたくはあったなぁと思います。

ただ、全て自分の責任としてやってきた事……ではないんですよね。
自業自得は受け入れるつもりですが、それとは別に、「事情」というものはどうしても存在します。そういうの全く無い人もいるかもしれないし、あっても気にしないで無視する人もいるかもしれない。だけど私は、気にした、無視できなかった……
後悔とは言いませんが、そういう背景がある事は吐露として残しておきたいと思います。
あるいは、誰かの何かの参考にでもなるかもしれません。反面教師としてかもですけどw
色々言われてしまいそうですが、これだけは言えます。こんな私にそれは言い訳だと言えるのなら、あなたの人生は幸せです、そのままでいたほうがいい。

さて、こんな記事を書いているのは、年齢のこともあるのですが、やむにやまれぬ事情が攻め込んできてしまっているからです。
それらの総合として、私は今後を決めなくてはならないという岐路に、今立っていると思っています。


実は、ストレスにより満足に仕事ができない状態に現状なっています。
詳細はかけませんが、普段の職場を離れ、別の仕事をしている状態です。個人としては元気なつもりですが、精神は相当病んでいます。
正直、私には夢や趣味があるから、欝にならずに済んでいるだけだと思います。そういうレベルまできてしまっていたのです。

また、家庭の事情も変わってきました。母方の祖母が認知症になったり、父方の祖母が亡くなってしまったりと、色んなことがありました。
こういう言い方をあまりしたくありませんが、自分の時間を自分の時間として使うことができなくなってきました。
そういう意味では、私に赦された時間というのは親と決めた年齢までではなかったのだと思います。
(これについてはストレスの原因には一切なっていません。たぶん)

大きくはこの二つですが、これらを要因とし、おおよそ3年、具体的な行動に移せない時期がありました。
いつも強がって記事書いたりしてますが、私も人の子、裏にはそういう事情もやはりあったのです。

各所に書くのでここではこれくらいにします。

夢に対する活動としては、来年の夏頃が最終のつもりでおります。趣味の活動については、今年いっぱい考えるつもりです。
もしかしたら全部捨てるかもしれない、残すもの捨てるもの選別するかもしれない、趣味としてまるまる残すかもしれない。それはわかりません。
勿論、交友関係も全て含めて、です。
紅咲ありす(紅花ありす)が死ぬということは、私個人の死と同様です。赤子に友達はいません。つまりは、そういうこと。この決意はやはり変わりませんが、趣味を残すかどうか次第という所ではあります。
そう言いつつ、選別してそうですがw

今でも変わらず応援してくださっている皆様への感謝と、残りの短い日々(ストレスと戦いながら、事情と付き合いながらですが)頑張りますよ、という報告でした。

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